5月18日土曜日、今年度最初の「校長カフェ」を実施しました。1年から6年までの生徒の保護者の皆様31名にご参加いただきました。第1回目の「校長カフェ」では、自己紹介のあと簡単なアクティビティを行い、そこで話し合われた内容を参加者全員で共有しました。そして最後に、私からお話をさせていただきましたので、その概要を全ての保護者の皆様と共有するため、以下に掲載させていただきます。


 今回は「自立」という言葉を切り口として、本校の教育理念に関する私の考えを述べたいと思います。札幌市教育振興基本計画では札幌市の教育が目指す人間像として「自立した札幌人」が掲げられ、平成23年に公表された本校の設置基本構想でも育てたい人間像として「自立した札幌人」が掲げられています。設置基本構想には「国際社会で活躍する」という修飾がありますので、国際的な視野がより強調されているとも考えられます。

 札幌市教育振興基本計画は「自立」について、「自らの人生を自らの責任で引き受け、一人の人間として生きる自覚をもち、未来に向かって行動することが大切」との解説を加えています。このうちの「自らの人生を自らの責任で引き受け」というフレーズから特に私が思い起こすのは、明治期の啓蒙思想家である福沢諭吉の著書『学問のすゝめ』にある、「独立とは、自分にて自分の身を支配し、他に寄りすがる心なきをいふ」(「独立とは、自分の身を自分で支配して、他人に依存する心がないことを言う」)という一節です。「自立」と「独立」で用語は異なりますが、言わんとしていることは同じように私は思います。

 生徒一人一人が生涯にわたって学び続ける学習者であるためには「自立」が求められます。自立した学習者は、「自ら疑問や課題をもち、主体的に解決する」課題探究的な学習を通して育まれると本校では考えています。このことは、本校の教育を考える上でのいわゆる1丁目1番地に当たるものです。また、本校の設置基本構想があえて「国際社会で活躍する」という修飾を添えていることから、本校の生徒にはより高い次元での「自立」が期待されているとも言えそうです。

 この高い次元での「自立」を求める学校として本校が選ばれたのは偶然ではなく、札幌開成高校の伝統あればこそのものと私は考えています。入学式の式辞で私は、本校の校訓「山アリ 空アリ 大地アリ 永遠を知れ」に触れました。札幌開成高校初代校長の坂井一郎先生は、「この校訓に解釈や注釈はいらない。生徒一人一人が自由に解釈すれば良い。」と言われたそうですが、これは「自立」を前提としたものと私は解釈しています。誰かが解釈してくれる、正解を導き出してくれるのを待つのではなく、自分なりの解釈を考え、他者に示し、自由闊達に議論するのは勇気のいることで、「自立」が試される場面です。その意味で、私は式辞において、課題探究的な学習を念頭に置いて、この校訓は「学びに向かう際の心構えとでも言うべき道しるべを示してくれている」と述べさせていただきました。

 また、札幌市教育振興基本計画は、自立には「他者を自分と同じ『自立した存在』として尊重し、共に支え合いながら生きていくという『共生』の思いを併せ持つ」と強調しています。この考えは、本校の学校教育目標「わたし、アナタ、min-na そのすがたがうれしい」に込められた理念そのものです。これも式辞で触れさせていただきました。自立した一人一人の「わたし」が、隣にいるこれも自立した「アナタ」の個性を良さとして受け入れ、自立した者どうしである「min-na」が常にそのような思いを持ちながら学び合える学校を本校が目指すとき、札幌市教育振興基本計画が懸念するような、「自立」が利己的な考えや孤立と結びつけて捉えられる心配はないと信じています。

 ところで「自立」を目指す教育は、一歩間違えば「放任」と誤解される懸念があります。実際にそのようなご批判をいただくこともあると承知しています。「自立」は成長とともに自然と身に付くものではありません。教育により育まれるものです。ですから、私たち教職員は意識的に「自立」を目指す教育に取り組む必要があります。そこで、今年度の学校経営方針を全ての教職員と共有する機会に、私自身が意識したいことを3点お話しましたので、補足も加えてここにお集まりの皆さんとも共有したいと思います。

 まず1点目は、「比較」よりも「伸び」を評価する姿勢を大事にしたいと伝えました。このことは、学校便りでも触れさせていただき、必ずしもひとりよがりの考えではないことを示すために、札幌市教育委員会の示す教育観や私が直接お会いしたことのある川合正先生のお考えも引用させていただきました。学校だよりでは紙面の関係で省略しましたが、私が直接お会いしたことのある、京都市の小中一貫教育校である東山開晴館の初代校長を務められた初田幸隆氏の著書の中にも、とても印象に残った一節がありますので、紹介させていただきます。初田氏は、イソップ童話のウサギとカメのお話を引き合いに出して、次のようなことを記しています。

 

 さて、ウサギは油断したということになっていますがなぜでしょうか。ウサギは何を見ていたのかを考えてみましょう。そうです。ウサギはカメを見ていたのです。ゴールを見ずにカメを見ていたのです。そこに油断が生まれました。/それに対してカメは何を見ていたでしょうか。そうです。ゴールを見ていたのです。ゴールに到着することだけを考えていたのです。/わたしたちはよく友達や周りの人と自分を比べてしまいます。けれど、目標を立てたら目標に向かって今の自分はどうなのかということを絶えず考えることこそが大切なのです。すなわち自分と向き合い自分と勝負する。そうです。大切なことは他人と比べ他人と勝負することではないのです。(/は改行を表す。)

 

 いかがでしょうか。

 次に2点目は、学びには「型」があるということです。現在大河ドラマ「いだてん」の主人公を演じている中村勘九郎さんの父親である故中村勘三郎さんのエピソードを紹介しながら、おおよそ次のようなことを伝えました。

 学ぶことを楽しいと実感できない生徒の存在などが本校の課題の一つであるとの引き継ぎを受けましたが、そのときに思い出したのは、歌舞伎役者だった故中村勘三郎さんがよく口にしたと言われる「型を身に付けてこその型破り。未熟な芸では、型なしだ」という言葉です。3月のSSH運営指導委員会の中で、運営指導委員の先生からも「学びのお作法」という言い方で言及がありましたが、学びにも「型」があると思います。特に課題探究的な学習に取り組むに当たって、学びの「型」を身に付けることはとても大事なことで、例えばIBで言えば、ATLスキルがそれに当たるのではないかと伝えさせていただきました。

 せっかくの学びが「型なし」にならないためにも、本校で学ぶ生徒たちがしっかりと学びの「型」を身に付け、発展期までには「型破り」な挑戦も可能な自立した学習者になってほしいと願っています。

 最後に3点目は、特色化の推進と個に応じた支援を同時に進めることの重要性についてです。3月の卒業式では多くの卒業生が本校の学びを「普通ではない」と表現していました。間違いなく本校は、中学校とも高等学校とも異なる特色ある教育活動を進めてきました。ここで注意しなければならないのは、特色化を進めれば進めるほど、それに対する適応の度合いには個人差が生じるということです。本校の学校教育目標に照らせば、それはむしろ自然なことと言えるかもしれません。であれば、個に応じた学びの環境を整えるとともに、個々の困りに寄り添っていくことは、特色ある教育を進めるのと同様、とても大事なことです。そのため本校では、「校内学びの支援委員会」を核とした組織的な対応を重視したいと伝えました。

 以上、今回は「自立」という言葉を切り口としてお話をさせていただきました。

※本文中で引用した文献
〇福沢諭吉(伊藤正雄校注)『学問のすゝめ』、講談社学術文庫、2006年
〇福沢諭吉(斎藤孝=訳)現代語訳『学問のすすめ』、ちくま新書、2009年
〇初田幸隆『小中一貫校をつくる』ミヤオビパブリッシング、2017年
 


 本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

令和元年(2019年)5月27日