市立札幌藻岩高等学校
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新型コロナウイルス感染症の対策をしながら行われた藻高祭。自分たち一年生が藻岩高校に入学してから初めての学校行事。
自分が感じたのは、学校全体が一体となってコロナ禍の中でも開催された藻高祭で、全校生徒だけでなく先生も一緒に全力で楽しんでいるのを感じた。
その中でも自分が一番魅力を感じたのはステージ発表である。一年生のステージは初めての藻高祭だからか少し不慣れの所はあったが、とても素晴らしいステージ発表だった。二、三年生の先輩方のステージ発表はさすが先輩と思わせる圧巻の発表で、声を出すことが出来ないのが惜しいくらいの魅力的で、素晴らしい発表であった。
このようにコロナ禍で多くの制限がある中でも、全校生徒一人一人の思い出に残る、特に自分たち一年生にとって、新しい高校の楽しみを見つけることができたのが非常によかった。そして、生徒会や実行委員会等の方々の協力で無事に終えることができて本当に良かったと思う。来年こそは新型コロナウイルスも終息し、この藻高祭で思い切り楽しめることを心から願っている。(生徒会誌「藻燿」より)
終わってみれば、あっという間だった。気づくと夢から覚めた後のように、グラウンドにポツンと、取り残されていた。
私のクラスでは、教室でキッキングスナイパーをした。そこは二学年の中でもかなり高評価だった。私も一度やってみたが、まるで嵐のメンバーになったかのような印象を受けた。松潤、櫻井君、大野君、相葉君、ニノ、キシ。私は、嵐のメンバーになっていた。
また、クラス発表では、たくさんの笑顔が見れた。私は心のカメラで写真を撮り、心のデータに保存しておいた。容量不足になったことは言うまでもない。
そんな夢の二日間。永遠なわけがない。終わるな、と願えば願うほど時は過ぎる。あまりの無常さに心を痛めた。でも、いつだってそういうものだ。時は過ぎる。日は落ちる。そして、昇る。あと、私はご飯を食べる。
私は少し、大人になった。強くなった。キッキングスナイパーが跡形もなくなった教室。いつも通りの学校。こっちの方が良い。私はそう言いつつも、心のフォルダから、未練たらたらで写真を探し出すのであった。(生徒会誌「藻燿」より)
高校生活最後の藻高祭。僕はクラス動画の担当になりました。最初はどんな動画を作るかなかなか決まらず大変でしたが、スマホゲームの広告のパロディ風の動画を作ろうと決まり、衣装などがそろってからの撮影はスムーズに進みました。内容はマフィアのアプリゲームで僕は金髪のかつらを被って女帝の役をやりました。編集も凝ってていい出来になりました。結構好評で嬉しかったです。(生徒会誌「藻燿」より)
クラス発表では、もぐらたたきを作ることになり、仕事が早くに終わったクラス動画班も手伝いました。机を二つ重ねて高さをだし、ボール紙や茶色の画用紙で土の感じを出して、その上に緑の絵の具で草を描いて地面らしくなるように工夫しました。もぐら役の人はヘルメットを被り安全にも気を付けました。制限時間内にピコピコハンマーで何回もぐらをたたけるか、というルールを設定し、景品を出すことで盛り上がりました。
昨年コロナの影響で藻高祭が開催されませんでしたが、昨年の分まで今年は楽しめました。様々な発表やパフォーマンスが見られてとても楽しかったです。(生徒会誌「藻燿」より)
コロナウイルスが流行し始めてから約一年半。たくさんの我慢を強いられる中、私たち三年生にとって最後の藻高祭が開催された。
私が一番張り切ったところは、新しく導入されたクラス動画だ。星野源「恋」の歌詞、ダンス動画を作ることになり、私は主に撮影と編集を担当することとなった。クラスメイトに時間を確保してもらって少しずつ撮影し、撮ったところをすぐ音源と合わせて編集、というのを繰り返した。細部にもこだわり、今ある技術を最大限使って期限ギリギリまで動画作成に励んでいた。結果として上位には入れなかったが、一つの作品を最後まで作り上げられたことへの達成感を得られた。
さらに、同級生と先生との三人でアートフェスタに参加することになり、少ない打ち合わせと練習時間でセトリを完成させ、無事に本番に迎えられた。本番直前に曲を増やしたり大事なところでミスをしてしまったりしたが、観客全員が盛り上がってくれてとても楽しい舞台となった。
感染対策が最優先であったものの、久しぶりの学校行事を目いっぱい楽しんでいる人が多く、学校全体が活気づいていた二日間だった。(生徒会誌「藻燿」より)
晴天の中むかえた自分にとって最後の藻高祭。マーメイド姿の司会者達が全学年を笑いの渦に巻き込むところからそれは始まった。去年のRevival Fesに引き続き制限が多い中であっても、とても楽しめた二日間であり、良い思い出となった。
各クラスのパフォーマンス(歌やダンス)、有志発表は各生徒一人一人が輝いていて、藻高祭を盛り上げてくれた。また、展示は三年生のクラスしか見ることができなかったが、どのクラスも教室が綺麗に装飾されて回っていて楽しかった。その中でも、普段会えない友達や先生方と写真を撮れたことが一番嬉しかった。天気にも恵まれ開催された藻高祭は全学年にとって最高の思い出になったと思う。
見学旅行が中止となってしまい、思い出づくりの機会が無かった中で藻高祭が開催されて本当に良かった。来年も新二、三年生そして新一年生達にとって藻高祭が楽しめる行事であり、最高の思い出づくりの場となってほしい。(生徒会誌「藻燿」より)
コロナウイルス感染拡大防止のため今年の行事はなくなってしまうと思っていた矢先、生徒会の方々が考えてくれた新行事「MOIWA Revival Fes in 2020」が行われた。この三日間は私を含め、皆にとってとても思い出に残る日になっただろう。
まずは一日目のスポーツ大会。自分の出る競技でなくてもたくさん声援を送る姿を見て、クラスの団結力が誇りに感じた。
そして二日目。私は部活動のため屋内の活動には参加できなかったが、感動したことがある。この日グラウンドではライプが行われていた。勇気をもってステージに立つ人を励ますかのように会場を盛り上げる姿はとても思いやりにあふれていた。
最後に三日目、閉会式前のビンゴ大会。自分がビンゴにならなくてもクラスの誰かがビンゴになると、自分事のように喜んでいる姿を見てとても心が温まって、優しい気持ちになることができた。
そして迎えた閉会式。誰もが予期していない中、スペシャルゲストの登場に会場は大盛りあがり。
改めて、三日間たくさんの感動を与えてくれた行事を作ってくださった方々、ありがとうございました。 (生徒会誌「藻燿」より)
昨年の二月末、新型コロナウイルスが世界を混沌の渦へと導くこととなった。これにより学校ではたくさんの行事が延期または中止となった。部活の大会も同じで、目標が見えなくやるせない気持ちが続いただろう。不安もつのり、これから何が起こるか分からないパハブンテ状態の中MOIWA Revival Fesが行われた。
二日目の講演は私にとってとてもためになるものだった。Bringsの岩元美智彦さんの講演にとても興味をひかれた。Bringsの会社はプラスチックゴミを再利用する技術を持っています。彼らは会社をたてるとき知識を身に付ける必要があると考えました。技術を身に付けた後、リサイクルをしてもらおうとデロリアンを使って宜伝した。リサイクルをするのがあたりまえの世の中になるためには一人一人の協力が必要になると僕は考えた。
私はこの講演を聞いて一人一人が日常の勉強でたくさんの知識を身に付けていくことが大切だと感じ、このことは高校中の使命だと考えた。 (生徒会誌「藻燿」より)
人間には順応という機能が備わっている。いわゆる慣れというもので、似通った場面において対応に余裕が出てくるというものだ。私は今年で十八歳になり、学校生活だけでも十一年は過ごしている。肩書きは違うとはいえ十年も生徒をしていると、この似通った場面、順応している場面に多く遭遇することになる。ところが今回、新型コロナに見舞われたこの新行事「MOIWA Revival Fes」は、慣れないことの連続だった。基本生徒はグラウンドに集まり、体を動かすイベントばかりかと思えば、二日目は校内のイベントで学校中を沸かせ、三日目にはサプライズイベントで白熱させてくれた。高校最後という節目に、花を咲かせてくれたイベントであったといえるだろう。
人間には順応という機能が備わっているが、慣れない場面にこの機能は作用しない。それでも今回の盛り上がりがあったのは、偏に生徒会による入念な準備があったからこそなのだろう。前例がないこの企画に順応も慣れも存在しない。新行事の成功の裏には、参加人数に比べ遥かに少ない人数の人間たちの努力が隠れているはずだ。 (生徒会誌「藻燿」より)
今年はコロナウイルスの影響で学校開始が六月からとなり、学校祭を含めた様々な行事が、中止・延期となりました。そのような中で、生徒会の役員のみなさんが、生徒が楽しめるように話し合いをかさねて新しい行事を企画してくれました。
三日間にわたって行われた「MOIWA Revival Fes in 2020」は三年間の学校生活の中でも最後で最高の思い出になりました。私は新聞局として、この三日間カメラを片手に持ち、学校中を回りましたが、写真にはたくさんの笑顔が写っていました。
二日目にはデロリアンが学校へ来て先生方もたいへん興奮して、スマホにその姿をおさめていました。そして最終日には、この学校の卒業生が来校してくださいました。オープンカーで登場し、学生時代のお話を私達に話してくださり、そして全校生徒にお土産としてオリジナルタオルをプレゼントしてくださいました。
私達三年生は毎年のように何かと不幸な出来事にあってきましたが、最後にこうして良い思い出の残る行事ができて嬉しかったです。 (生徒会誌「藻燿」より)
新型コロナウイルス感染症による混乱の中で行われたMOIWA Revival Fes。新しい1年生達にとっては、藻岩高校に入学して以来初めての学校行事。そして、例年とは違う、藻岩高校としても、初めての試みとなった。そんなRevival Fesは成功したのではないだろうか。各学年が参加した競技や、クラスメイトの活躍を通して大いに盛り上がっていた。特に一年生は初めての学校行事を体験し、新たな「高校生の楽しみ」を見つけ、大いに感じることができたのではないかと思う。また、様々な有志の発表や、講演会による新たな学びや発見、スペシャルゲストの登場も大きな思い出となったと言えるだろう。
このように、多くの制限がある中でも、一人一人にとって大切な思い出となる行事を生徒会、実行委員会の皆さんをはじめ、全校生徒の力で成功させることができたというのは、来年度以降の行事の運営にも必ず活きてくるだろう。そのような点からも、やはりこの行事は成功したと言えるのではないだろうか。 (生徒会誌「藻燿」より)
コロナウイルスの影響で球技大会や学校祭が中止になり、代わりの行事となるMOIWA Revival Fesが開催された。もちろん三日とも楽しむことができたが、私は二日目と三日目が特に印象に残っている。
二日目は、他クラスの生徒とストリートピアノを演奏した。友達や先生方を招いていたため緊張したが、なんとかソロも連弾も弾ききることができた。連弾が終わった時の拍手喝釆は鮮明に覚えている。
さらに夜には花火の打ち上げがあった。雨に降られることもなく、夜空に色とりどりの花が咲いた。私は今年初の花火だったが、それを学校で見れるのはとてもいい機会だったと思う。
そして何より生徒全員が一番印象に残っているのは、三日目閉祭式でのスペシャルゲストの登場だろう。私自身とても驚いていたが、ゲストの思い出話を聞いたり質問できたりと、藻岩高生にとって忘れられない一日となっただろう。
この行事でコロナ感染者が出ることもなく、感染対策をしつかりした上で各々楽しめていて良かったと思う。 (生徒会誌「藻燿」より)
僕は、藻高祭でスタッフとして活動していました。やはり、他の人とは違うことをするからこそ見えてくるものがありました。
初めての藻高祭で、スタッフをやると聞き、最初は不安だらけでした。いざ、本番。スタッフは七時三十分に集合で、「めんどいな~。」と思いながら始まりました。そして、リハーサルを終え、藻高祭の開幕。僕は最初から衝漿を受けました。体育館会場全体が一体となって、最初から最高潮の盛り上がりを見せていました。そこから、各クラスのクラスパフォーマンスがあり、歌やダンスなど様々な方法で盛り上がりを見せていました。僕は、照明担当で、スポット担当でした。人に照明をあてるという一見小さな仕事でも、陰から裏で支えるということは意外と楽しいと感じられました。また、陰で支えて回りからは何とも思われない仕事でも「おつかれ!」や「良かったよ!」と言われたときはとてもやりがいを感じることができました。これは、僕に限らず誰でも同じことが言えると思います。なので、どんなに小さいことでも一生懸命にやることが大事だなと思いました。
様々なことを学べた学祭でした。 (生徒会誌「藻燿」より)
私はこの度の藻高祭において、演劇部の担当である照明と二日目の舞台、そしてクラス発表の製作とクラスパフォーマンスの照明、クラスフラッグのデザインと、多くの仕事をこなした。その中で私は、良くも悪くも「仲間との情報伝達」がいかに大切であるかを学んだ。例えば劇の舞台や照明では、仲間達での情報共有、伝達が滞りなく出来たため、仕事を円滑に進められたし、逆にクラス発表やフラッグでは、クラスの中でやらなくてはならない事を理解している人としていない人とが情報共有の不備によって二分されてしまい、結果働いている人といない人との差が明確についてしまった。
これだけでも、「情報共有・伝達」が集団行動においてどれだけ重要なファクターであるかが容易にご理解いただけるだろう。これを踏まえ、私は今後の学校生活において、友人や先輩後輩、教師陣との情報共有をきっちり行い、周りの人々が困らないようにしていこうと思った。よって、これからの生活で、情報の扱いを上手に行えるよう、訓練を積んでいきたいと考えている。 (生徒会誌「藻燿」より)
高校生活最後だということもあって様々な思い出が残った学校祭だが、やはり特筆すべきなのは所属している茶道部での最後の活動だろう。
三年間所属した茶道部で私が最後に受け持った仕事は、お客様に道具やお床の説明をしたり、お茶をお出ししたりする「半東」という役回りだった。この役回りはとにかく覚えるフレーズや所作が多く、あまり記憶力が優れていない私にとってはかなり苦労したと言っても過言ではなかった。しかし、それでも私には必ずやり遂げなければならない理由があった。私の出番は一席目、つまりトップバッターなのだ。ここで失敗をしてしまっては、お客様にも申し訳ないばかりか初っ端から雰囲気を崩しかねない。茶道部内での最高学年、つまり今までに二回も学校祭という大舞台を乗り越えてきた私にとって、今回のお茶会は何としてでも成功させたい代物だったのだ。
結果的に、今年催した全六席のお茶会は、トラブルもなく無事にお客様におもてなしの心を持って接することが出来た。今回のお茶会は、私にとっても他の三年生七人にとっても、きっと最後の最高な晴れ舞台になっただろうと、私は信じている。 (生徒会誌「藻燿」より)
今回の藻高祭は私たち三年生にとって高校生活最後の学校祭でした。最後だからか、みんな気合いが入っていて最後にふさわしいとても充実した学校祭になったと思います。
私のクラスは八組と合同で「吉野家」というお化け屋敷をやりました。一日目は謎解き系、二日目は普通のお化け屋敷をやりました。最初は二日間で違うものをやるとどっちも中途半端になるのではないかという指摘もありましたが、主体メンバーを中心にみんなが頑張り、二日間ともとても良いものになったと私は思います。
準備期間が短く、当日までにこれ全部終わるのだろうかと心配だったのですが、みんなは放課後も遅くまで残り、クタクタになるほど頑張ったので当日までには間に合いました。
結果、高校生活最後の学校祭はとても充実したものになり、高校生活の忘れられない思い出となりました。八組と合同でやったこともあり、違うクラスとも交流が出来てとても楽しかったです。これでみんなとの仲も深まったし、クラス発表で一位をとれてとても良かったと思います (生徒会誌「藻燿」より)
三回目の学校祭は何か特別なものになると高校入学当初に信じて疑わなかった。必ず特別なものになる、自分の中で何か大きな変化がおきるような学校祭になる、そう思っていた。
では実際どうだったのか。おそらく、しつかりと高校三年生を生きているクラスメイトは特別な学校祭になっていた。キラキラとして希望に溢れ、笑顔がみんな綺麗だった。しかし私は別に、一年生のときや二年生のときと変わりがなかった。空き教室で弁当を食べ、友人と話して終わった。入学当初抱いていた夢は幻と化したのだった。
学校祭、青春の一ページ、どう彩ったかは人それぞれだろう。ただ私は、その一瞬を自身の全力をもって輝いていたクラスメイトたちが何よりも綺麗で美しかったと思う。その瞬間を共に彩れたこと、とても喜ばしく思う。この場を借りて感謝したい。ありがとう。
数年後、こんな自分を笑いながら話す日が来るんだなと考えると、やはり青春は瞬きなのだろう。
自分のこれからの人生が楽しみになった。そう考えると最初の予想は幻ではなかったのかもしれない。 (生徒会誌「藻燿」より)