今年度、早くもふた月余りが経ちました。1回目の定期試験も終わり、定期試験の最終日には支部予選を突破

 全道大会に出場を果たした部活動の団体や選手の壮行会が行われました。

  全道大会への出場を勝ち取った団体や選手の皆さんについては、これまでの努力や準備が実を結んだ結果となり、

 学校として大変うれしく思っています。簡単ではありませんが、インターハイ出場を目指して、困難に打ち勝って

 ほしいと思っています。

  さて、全道大会へ進んだ生徒がいる反面、多くの部活動や選手は予選で敗れ、特に3年生にとっては、高校での

 部活動に区切りをつけました。顧問の先生からも様々な言葉を投げかけられたと思いますが、今後の人生につなが

 る部活動であったのならよかったと思います。

  2年前の夏の甲子園大会では慶応高校が全国優勝を果たしましたが、惜しくも決勝戦で敗れ準優勝した仙台育英

 高校の須江監督が「人生は敗者復活戦」ということをお話しされていました*1

    須江監督は仙台育英高校野球部出身ですが、入学して1年半で選手としてのキャリアを終える決断をし、学生コーチとして

  ームを支える側に回りました。その経験が指導の原点となったと須江監督は振り返ります。「人生は敗者復活戦」と、選手た

  には、負けて、失敗して、それで終わりではなく、その後どうするかを考えればよい、と言い続け、「人生は勝てることなんて、

  とんどなくて、だいたい負けです。野球を続ける子も続けない子も、それぞれの人生が続いていきます。この負けを敗者復活

  のエネルギーにして、人生を望んでほしい。」これは、決勝戦で負けた日の夜、須江監督が宿舎で3年生に伝えた言葉だそ

  うです。

   この「人生は敗者復活戦」という言葉は、iさかのぼること50年余り前、徳島の池田高校の蔦監督が言っていた

  葉でもあります*2

 

         人生は敗者復活戦や!

   全国制覇する1校をのぞいて、 みんな負けるのが高校野球じゃ。

   高校野球なんてものは 人生の一部や。

   これからの長い人生。勝ち続けるなんてむりや。

     勝つことよりも、負けるときがほとんどや。

     大切なことは、腐らず生きて、生きて、生きて、生きのびることや。

     人生はな敗者復活戦や。

 

   蔦文也さんは28歳の若さで徳島県立池田高校の野球部監督に就任しました。徳島商業の元エースで甲子園経験

  あり、またプロ野球にも所属していたことから、当然、地元の期待は高まりましたが、挑戦しては負け、挑んでは

 壁にはね返される日々で、甲子園ははるか遠く、周囲の期待はいつしか批判へと変わっていきましたが、それでも

 ノックバットを振り続けたそうです*3

   監督就任から20年後、初めての甲子園出場を果たし、その後、全国制覇も3度を数え、1974年春の選抜大会で

 は、わずか部員11人で出場し準優勝を飾りました。そんな蔦監督自身の野球人生も敗者復活戦ではなかったかと

 思います。

   新川高校で部活動に青春をかけた3年生の皆さん、これから様々なことに何度も跳ね返されることがあるかもし

 れませんが、「人生は敗者復活戦」、何度でも挑み続けてほしいと願っています。

 

     *1 令和5年91日(金)NHK NEWS WEB より

     *2 streamTV野球YouTube 蔦監督の言葉 より

     *3 一般社団法人日本トップリーグ連携機構HPより

 

                                                                                                                                      令和7年(2025年)611

                                    校 長  宮 田 佳 幸